先輩移住者の声
土井 志則 さん
[山口市徳地在住]
いつ・どこから・なぜここに?
金沢の大学を卒業後、東京に出て10年ほどサラリーマンをしました。家が商売をしていたのでいつかは帰って来て継ぐつもりではあったのですが、このまま帰ってもダメだと思い、貯金を使いながら1年間、いろいろな人に会いました。年収が1億円あるような人から生活保護を受けている人まで、本当にさまざまな人に会って話を聞き、何をしようか考えた結果、あるものをうまくお金にしようと農業を始めることにしました。帰ってきたのは2012年春です。
現在の状況・感想
農業はゼロからのスタートでしたが、家業の関係でショベルカー、パワーショベルなど重機はあったので助かりました。資源を作るという意味で、国も「農業を盛り上げよう」と言い始めた頃でしたが、もうすでに誰かがやっていることをなぞってもしかたないと思って、自然薯の栽培と六次産業化に取り組むことにしました。現在、効率的な広い畑が3ヵ所にあります。
ほかの農家さんや飲食業の人とネットワークを作って、地域活性の起爆剤になれたらいいなと思ってやっています。2015年秋から、月に1回、山口市でマルシェ(市場)を始めました。うちの自然薯のほか、野菜、果物、花、ジャムなどの農産品、お菓子、徳地和紙やストーブまで出店はいろいろです。おかげさまでにぎわっています。
地方への移住にあたり不安だったことは?
不安はありませんでした。物価は安いし、いろいろなことができると期待しています。
山口の魅力は?
地元の人はその価値に気づいていないけど、東京にはないものがいっぱいあると思います。自然薯も東京では高級品ですし、畑にいると、虫とか鳥の鳴き声や夕日で、時計がなくても時間がわかる。そういった魅力を見つけていくのが楽しい。田舎のよさを発信したいですね。
山口に帰って来て戸惑ったことは?
新しいことを始めようとすると、躊躇する人が多い。そして、過疎化という現実を見ないようにしている気がします。
山口に帰って来てよかった? それはなぜ?
物価が安いのでいろいろ挑戦できますし、今のところ行きたい方向に行けています。東京目線で山口を見ているので何を作ったらいいかわかるし、意見を聞きながらやれる。山口はやりやすい。帰って来てよかったです。
今後の展望
何かしようよ、未来に向けて」という思いを込めて社名を「ミライエファーム」と名づけたのですが、今後は加工も始めて、海外にも出て行きたい。自然薯を山口市の特産品にして、徳地を、山口を世界に発信していきたい。自分の会社だけが儲けるのではなく、徳地全体を活性化し、盛り上げていきたいと考えています。
移住を考えている人・移住してきた人にアドバイスを
スローライフを求めて来る人が多いと思いますが、それだけではすまない。挑戦する志というか、何かしようという思いを持って来てほしいですね。もちろん下調べは必要です。