先輩移住者の声
石原 正康 さん
[山口市大歳在住]
いつ・どこから・なぜここに?
愛知県出身で、2009年3月にレノファ山口に加入することになり、山口に来ました。その前は香川県高松市のクラブにいました。山口国体のあった2011年に6年間の選手生活を引退し、2012年のシーズンからレノファのスタッフとなりました。愛知に帰るか、山口に残るかという選択でしたが、サッカーチームの運営に興味があったのでレノファ初の専任スタッフとして活動することにしました。
現在の状況・感想
GM(ゼネラルマネージャー)として株式会社レノファの経営、営業活動、チームの編成や方針の決定、選手の獲得・放出や契約交渉などなど、いろいろな仕事に当たっています。地元の試合はもちろん、遠征に帯同することもあります。
ふだんは8時過ぎには出社して仕事をこなし、夜はいろいろな方々と食事をご一緒させていただくことが多いです。
地方への移住にあたり不安だったことは? 実際は?
選手時代の移籍は日本全国どこであれ「その地元のクラブでプレーする」ということなので特別の感慨はありませんでしたね。
山口の印象は? 魅力は?
来た当初はこんなに長くいることになるとは思っていませんでした。選手時代も感じていましたが、人が優しいですね。何気ない一言で助けられたこともありますし、いい人が多いです。 魚やお酒がおいしいことも山口の魅力ですね。 今は結婚して大内に住んでいます。山口は子育てするにはいいところだと思います。試合やサッカー教室などで子どもたちとふれあう機会がありますが、素朴で素直ないい子が多いと感じます。
山口に住んで戸惑ったことは?
方言。「かるう」が何のことかわかりませんでした。
山口市は盆地なので、気候的に暑くて寒いということになかなか慣れません。
病院が少ない、アスリートを診てくれるドクターがいないという欠点はありますが、それは山口に限ったことではないので仕方ないですね。
※かるう・・・山口弁で背負うの意味
山口に来てよかった?
あちこち転々としたのちに来た1年目は「だいじょうぶかな?」と思いましたが、長くいて好きになりました。サッカー人生の第2ステージが始まり、結婚をし、私にとって山口は人生の分岐点になった土地。山口に来てよかったです。今はサッカーを辞めても山口で飯を食っていけると思える。愛知に帰ろうとは思わなくなりました。
今後の展望
私が子どもの頃は、地元の中日ドラゴンズが圧倒的なあこがれのプロスポーツチームでした。レノファが、ここ山口で地元の人がみんなで応援する「おらがまちのチーム」として根づき、子どもたちがあこがれてめざすものになれればいいなと思います。
2015年は「勝つことは大切!」と痛感した1年でした。今季、J2でも「レノファ、やるなあ!」と言ってもらえるように、予想をいい意味で裏切るような活躍を見せたい。選手、スタッフ一丸となってよい成績があげられるように、皆さんに愛されるチームになるように取り組んでいきます。
移住を考えている人・移住してきた人にアドバイスを
あれこれ考える必要はありません。人付き合いなど常識的にふるまえば大丈夫だと思います。